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25歳からの社労士試験受験記 #1

スタッフブログ

公開日: 2026年3月27日

更新日: 2026年3月26日

山本庸介

こんにちは、蕎麦(ペンネーム)と申します。 

今回は、令和6年に合格した社労士試験について、当時を振り返りながら書いていこうと思います。 

ただ、いざ振り返ってみると、劇的な出来事や特別な思い出はあまり浮かびません。一度不合格になったため勉強期間は約2年ほどになりましたが、その間に勉強を苦に感じたことはなく、ただ淡々と取り組んで最終的に合格したという感じです。そのため、自分でも何を書けばいいのか正直なところまだよく分かっていません。少々探り探りの文章になるかと思いますが、それが逆に独特の読み味になれば幸いです。 

受験のきっかけ

まず、社労士試験を受けようと思ったきっかけについてです。 

昔から漠然と、「25歳あたりを境に、あらゆる面での身軽さが失われていくだろう」という感覚がありました。何もしなければ体は衰え、一方で社会からの要求は膨らみ、親は定年を迎え、病気を患ったりする。そうなると、人生における身軽さは少しずつ失われていく——そういった感覚が強くあったため、25歳までには何かに挑戦しておくことが、長い人生を考えたときに得策ではないかと思っていました。 

そんな折、以前から法律には少し触れたことがあり、特に勉強を苦に感じた記憶もなかったため、法律系の資格を取ろうと考えました。そこから選択肢を絞っていき、最終的に「講座の料金が手ごろで、難易度的にもちょうどよさそう」という理由から社労士を選びました。 

動機として弱いと感じた方もいるかもしれません。確かに、「なんとなくいけそう」という直感と、懐事情による消去法で決めたわけですから、そう言われると否定はできません。 

ただ、あえて自己弁護をするとすれば、動機は、自分を動かすのに足る物語であればそれで十分だと思っています。本当に大事な意味というのは往々にして後から与えられるものであって、動機の段階からそれを求めても中々見つかるものではありません。 

むしろ、動機の段階で想定していなかったことにこそ強い意味を感じるという構造があるのかもしれません。 

たとえばの話ですが、楽器を始めた動機が「モテたいから」という軽いものだとして、続けた結果として得られる意味は演奏そのものの楽しさやそれを通じて出会った仲間との繋がりだったりするのではないでしょうか。 

動機というものを考えたときに大事なのは、結果としてそれで行動を起こすことができるか、行動を起こせたとしていかに続けられるかどうかであり、その点では自分にとってこの動機はちゃんと機能していたと思います。 

冒頭で述べました通り、かなり探り探りのため当初思い描いていたものとは違う文章にはなりましたが、今回は以上です。 

次回は勉強関係の話になるかと思います。 

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プロフィール

脱サラして福井県にUターンして税理士に。生まれ故郷の大野市のために何かしたいとお客様のために頑張る人。難しい話を難しくない言葉で喋ります。薬剤師の免許と米国公認会計士の資格あり。数字を見るのが三度の飯と同じぐらい好きなえびす顔。苦手なことはダイエット。

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