こんにちは。山本庸介です。
今回は前職を3月末で退職し実家のある福井県大野市に帰省し、受験生として、16年ぶりに実家で暮らすにあたって印象深かった出来事を書きます。前回のエピソードは「税理士受験記③ 無謀な(?)決断」をご覧ください
一人暮らしをやめて実家に帰る
10年、一人暮らしをした関東を離れて16年ぶりに実家に帰ります。当時一軒家を借りていたので引っ越しの準備も大変でした。なんとか荷物をまとめて、空っぽの家を見て、鍵を不動産屋さんに渡して退居しました。ジーンとくるものがありました。色々な思い出が詰まった場所です。うれしいことも悲しいことも苦しいことも色々ありました。でも過去は過去、時間は戻らないし、前に進むしかないと決意して、実家に向かいます。
高速道路で実家に向かっていた途中で、無職で収入がなくなるから節約しなきゃいけないなと思い、高速道路を降りて下道を走りました。そしたらスピード違反で警察に捕まって、罰金1万円以上払う羽目に…もちろん私が悪いのですが、本末転倒というか、何というか。
望まれない決断
実家に戻った直後は、荷解きや挨拶やらでバタバタしてました。勉強できる環境が整っていなかったので、空いている部屋をリフォームして勉強部屋として整えることにしました。食事中に母親から、クーラーの効きが悪い、雨漏りしているところがあるから直したいと聞きました。直せばいいやん、それぐらいのお金あるやろって尋ねたところ、あんまりお金がない様子。初めて貯金額を聞いたところ、えっそんなに少ないの?老後大丈夫?と思う額でした。
両親はともに引退しています。母親は公務員でしたが、子供2人が社会人になったので肩の荷が下りたのでしょう、60歳前に早期退職していました。年金がもらえるようになるまで、退職金で生活していく予定だったと思いますが、あまりお金に強くない母親は退職金が入ると家のリフォームにつぎ込んでいました。
私は勉強部屋のリフォームと共にエアコン5台分の取り換え、雨漏りの修理と毎月15万円を生活費として家に入れることにしました。無職の私にとっては大きな出費ですが、それぐらい追い込まれた方が短期合格を目指す上ではいいだろうと思っていました。
これが父の逆鱗に触れます。リフォームなんて頼んでいない、このままでいいと言われます。いやいやエアコンも10年以上使っているし、昔と違って夏は暑いから取り換えた方がいい、雨漏りも直すべきと言いましたが、結果口論に…最後は戻ってきて欲しくなかったと言われます。結果、父の部屋の雨漏りは直さないことになりました(後日、父のお金で直したみたいですが)。母親からは収入がないのに負担をかけたくなかったらしいと聞きました。
実家に帰省後、母方の祖母へ会いに
私が小学生・中学生のころは母方の祖母によく面倒を見てもらっていました。父は海外赴任、母はフルタイムで働いていたので、祖母が家に来て子供2人の面倒を見てもらっていました。そんな祖母も16年ぶりに実家に帰省した時には、寝たきりで施設に入っていました。祖母のお見舞いに行って、私が実家に戻ってきたことを伝えると嬉しそうでした。仕事の話を聞かれました。「どこの薬局で働くのか?」と。暫く無職で税理士を目指すことを伝えるとめちゃめちゃ怒られました。「何のために親が大学を出したと思ってるんだ!」と。
私は薬剤師の資格を持っています。それを使えばどこかには就職はできたでしょう。元々看護師であった祖母からすると、意味不明な選択をしているのだと思います。
父親の件、祖母の件と実家に戻ってから立て続けに問題が起きました。改めて思いました。私自身が税理士になりたいだけで、周りは誰も望んでいないんだと。30歳半ばで無職の自分…情けない気持ちがどんどん大きくなります。メンタル面はだいぶ弱っていました。
しかし、税理士になるという決意はより強固なものになりました。決断したのは自分自身です。この決断をしてよかったと思うか、間違えたと思うかは、この後の私自身の行動で変わります。この決断がよかったと思えるように行動あるのみ。
※性格がさっぱりしている祖母は、最後には私の選択を理解し応援してくれました。※そんな祖母も1年後に亡くなります。税理士になった姿を見せられなかったのが心残りです。
…つづく
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